世界で最も低い大地、死海沿岸はじりじりと暑い イスラエル(3)
地中海沿いのテルアビブから東に車を走らせ、小高い山の頂にあるエルサレムを過ぎると、急に見渡す限りの砂漠が広がる。標高約700メートルの古都から東へとただひたすら下ると、車の外では気温がぐんぐんと上がっていく。途中、乾いた大地にしがみつくように粗末なトタンの小屋がぽつりぽつりと並び、目を凝らすと、羊の群れやロバに乗った人がうごめいているのが見える。ベドウィン族だ。
海抜マイナス400メートル付近まで下るとゴツゴツとした平地が開け、照りつける太陽に遠くの山々が霞む。車から降りると熱気に押し付けられているようだ。振り返ると、赤茶色に切り立つ崖が壁のように立ちはだかっていた。ついさっきまでいたエルサレムとは別世界の、違う惑星にきたような光景だ。
ここから、世界一標高の低い街、そして世界一古い街だとされるジェリコへと向かう。左に折れて北へ走ると、カラカラの大地には異様なほど、街が青々とした茂みに包まれている。澄んだ湧水の恩恵を受けて古くから農業が盛んな地域で、まさに砂漠のオアシスだ。街の外れには約一万年前の遺跡、テル・アッスルターンがあるが、この辺りの鬱蒼とした緑は、砂漠を歩き続けた人達にとって、さぞ感動的な光景だったろう。「野菜ならトマトでもキュウリでも、何でも沢山とれるよ」と、遺跡を案内してくれた男性は胸を張った。
訪れた時期(9月初旬)はデーツ(ナツメヤシ)のシーズンで、ジェリコ周辺のヤシの木にたわわに実っていた。枝から摘みとった薄茶色の実は日を浴びて暖かく、ねっとりと甘い安納芋のようで、あと引く美味しさだ。ついつい、3つ、4つと摘んでしまう。エリコの土産物屋の軒先では、年配の男性が慣れた手つきで収穫したデーツを選り分けていた。自分の背丈よりも高いこのヤシの葉で器用に駐車場の掃き掃除をしている男性の姿に、人々の暮らしに根ざした木であることがしのばれる。
すこし南に走ると、コバルトブルーの死海が広がる。向こう岸は隣の国、ヨルダンだ。死海の水は、塩分濃度が海水より10倍ほど高いために浮力が強く、足が底につかないほど深い場所でもふわふわと立っていられる不思議な湖である。朝一番にそうっと入ると、足先まできれいに見えるほど透明度が高く、長く浸かっていても、指先がふやけない。ただし、小さな傷や目に入ると激痛が走り、また、飛び上がるほど苦く塩辛いので、注意が必要だ。高級スキンケア商品として売られている湖底の泥はミネラル豊富で、顔や体に泥を塗るのも死海の定番となっている。
ちなみに、この日はイスラエル側にあるエルサレムを出発し、パレスチナ領ウェストバンク地区に位置するジェリコを訪れてから、イスラエル側にあるマサダへと向かう。地図上では、死海沿岸はイスラエル領とパレスチナ領に南北に分割されているが、実際に来てみると、旅行者に分かるような境界線は見当たらない。のどかな風景のなか、車に揺られてウトウトとしているうちにいつの間にか越えてしまっていた。
死海南西の切り立った崖の上に鎮座するマサダは、ヘロデ王が造らせた純ローマ風の要塞だ。ローマ帝国のエルサレム侵攻を逃れたユダヤ人約900人が、ここに2年間ろう城し、降伏せずにほぼ全員が一夜にして自決した史跡である。約2000年前、紀元70年ごろのことだ。
その後、誇り高いユダヤ人を象徴する場所として長い間神聖視されてきたため、ユダヤ系のガイドの男性が子供の頃は1時間半ほどかけて山道を登り、犠牲者らを偲んだそうだ。しかし近年では、多くの人を死へ追いやったことについて論争が起きていると言う。どちらにしても、ヘロデ王の狂気とも言える壮大な要塞の遺跡には一見の価値がある
内部には、2年間のろう城を可能にした膨大な量の食料貯蓄と、近隣の山から雨水を集める多数の貯水池のみならず、灼熱の砂漠の真ん中にありながら、ローマ式のスチームバスやジムまで完備していた。それにもかかわらず、ヘロデ王自身が訪れることはほとんどなかったそうだ。
かの大王が楽しむはずだった風景を一目見ようと展望スペースに行くと、カラスより一回り小さい黒い鳥が数羽、お行儀良く柵に並んでいた。思わず写真を撮ろうと近づくと、一羽一羽、死海一帯を一望する絶景のなかに、吸い込まれるように飛んで行った。2年間ここにろう城していたユダヤの人々は、どんな気持ちでこの美しい景色を見ていたのだろうか。
観光客には暗いうちから登り始めてご来光を楽しむツアーが人気だが、ロープウェイで景色を眺めながら頂上へ向かうのもまた良い。
<取材協力>
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*この記事は、2017年に朝日新聞デジタル版&Travel「あの街の素顔」に掲載されたものです。