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Hi.

これまで書いてきた旅の記事や、書ききれなかったこぼれ話を集めてみました。

激動の歴史と未来が交差するPMQ周辺を散策 香港(2)

激動の歴史と未来が交差するPMQ周辺を散策 香港(2)

PMQ(左側)はものすごく急な坂の中腹にある。坂を下ると、トラムの行き交うセントラルの繁華街にぶつかる

PMQ(左側)はものすごく急な坂の中腹にある。坂を下ると、トラムの行き交うセントラルの繁華街にぶつかる

香港のハリウッドロードは、アメリカのハリウッドよりも半世紀ほど早い1844年につくられた。名前の由来は、ヒイラギモチ(英語でHollywood)がたくさん生えていたから、など諸説あるそうだ。周辺には、歴史ある施設やギャラリー、骨董屋(こっとうや)が多く、昔の面影を思い浮かべながらゆっくりと散策を楽しみたい。

まずは、香港出身の若手クリエーターを育成する拠点として、2014年にオープンした複合施設「PMQ」だ。広場を挟んで向かい合う2棟の建物には100を越える小さなスタジオスペースがあり、ここに新進気鋭のアーティストやデザイナーが仕事場兼ショップを構える。一点ものの小物や洋服から、香港産の蜂蜜など、作家にあれこれたずねながら見て回るのも楽しい。建物は堅牢な構えながら、大きな窓から光があふれて風通しがよく、開放的だ。

ショップと並んで、土地の歴史が紹介されている一角は必見だ。ここは、香港の激動の歴史を反映してきた象徴的な場所なのだ。

現在PMQのある敷地には、19世紀後半、香港初の西洋式公立学校であり、孫文をはじめとする香港のエリートを多く輩出した中央書院が建っていた。第2次世界大戦中、香港が日本軍に占領されると、校舎には占領軍の総司令部が置かれ、終戦間際に建物は火災で破損した。

その後放置されていたこの土地に、1951年、今もある2棟のビルが建てられた。中華人民共和国の建国で、当時の香港は中国からの移民であふれ、治安が悪化していた。警察官志望者を増やすべく、香港政府はインセンティブとして2棟の既婚警察官宿舎(Police Married Quarters)を提供したのだ。居住スペースが不足していた香港で、この宿舎は大きな魅力で、入居にあたっては、勤続年数や人数が多い家族ほど優先された。

歴史コーナーに展示されている居住スペースの模型や写真などで、当時の暮らしをしのぶことができる。広い渡り廊下には各家庭の台所があり、その間にある食卓を二家族が一緒に囲んでいたそうだ。

老朽化した宿舎は2000年に閉鎖された後に改装され、新たなPMQとしてオープンした。家賃の安くない現在の香港でも、政府の支援で安く借りられるこのスタジオスペースは大人気で、厳しい選考を伴う狭き門である。

文武廟の天井から吊るされた無数の渦巻き型線香は、一度火をつけるとひと月も燃え続けるそうだ

文武廟の天井から吊るされた無数の渦巻き型線香は、一度火をつけるとひと月も燃え続けるそうだ

PMQからハリウッドロードを3分ほど歩くと、香港で一番古いと言われるお寺がある。1847年、イギリスの統治下につくられ、勉学の神様として香港の人々に愛されている文武廟だ。中をのぞくと、提灯(ちょうちん)から漏れるほのかな明かりと、絶え間なく焚(た)かれる線香の煙がなんとも神秘的だ。

「悪い運はここに置いて、良い運を神様からもらうから、お参りする時は一方通行」と、ガイドの男性が教えてくれた。なるほど、皆半時計回りにぐるりと一周している。香港式のお参りを終えると、急に大雨が降って来た。少し待っていればやむから、と地元の人たちと一緒にのんびりと待つのもまた、味わい深い。

文武廟の入り口で、のんびりと雨が止むのを待つ

文武廟の入り口で、のんびりと雨が止むのを待つ

取材協力:香港政府観光局、キャセイパシフィック航空

*この記事は、2016年8月23日付で朝日新聞デジタル版&Travel「あの街の素顔」に掲載されたものです。https://www.asahi.com/and_travel/20160823/1889/

素朴な港町とビーチでゆったり 香港(3)

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新旧、東西が交差する魅惑の街 香港(1)

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